カタルーニャ州タラゴナ県、プリオラート地方(コマルカ・プリオラート=地方行政区)には、
23の村(ムニシピオ=自治体)が存在し、全人口は1万人も満たない、
雄々しい自然に囲まれたワイン産地です。
プリオラート地方の中に、DOCプリオラート(特選原産地呼称)と、
DOモンサン(リベラ・デブレ(Ribera d’Ebre)地方も一部含む)
という2つのワイン原産地が存在します。
この地に住んでまず心奪われたのは、その歴史の深さです。
愛犬と歩くいつもの散歩道も、歴史を知ると、
まるでその時代にタイムトリップしたかのような感動に包まれます。
そこで、この地方の歴史を紐解いてみようと思います。
プリオラート地方でのブドウ栽培とワイン造りの歴史は、ローマ時代よりも前に遡ります。
歴史は流れ、711年。イスラム教徒のムーア人がイベリア半島に侵入すると、
わずか数年間でカタルーニャを征服するものの、
キリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)で
プリオラート地方は、12世紀にはキリスト教圏に復活しました。
その後、南仏プロヴァンスからこの地を訪れたカルトジオ会の修道士たちが、
1194年、イベリア半島で一番最初のカルトジオ会修道院をプリオラートのシンボル、
“聖なる山”モンサンの麓に建設しました。
こうして”神の階段”を意味するスカラデイ修道院(Cartoixa d’Scala Dei)が誕生しました。
プロヴァンスで培ってきた、ブドウ栽培の高い技術や知識を携えた修道士たちにより、
プリオラートのブドウ栽培やワイン造りは、年月をかけて目覚ましい発展を遂げました。
この地方の名前「プリオラート」の由来は、スカラデイ修道院と深い関係があります。
“プリオール”は「修道院長」を意味し、”プリオラート”とは、
「修道院長の領土」という意味で、
文字通り、この地方の農民たちは、ブドウや穀物を始めとした
農作物をカルトジオ修道院に納めていました。
1835年、スカラデイ修道院の所有地は国家によって没収され※、
小規模農家に分配されたため、修道院は解散、
美しい建築物は時代と共に朽ち果てていきました。
(※ Desamortización Española=永代所有財産解放令)
12世紀から19世紀までの長い間、この土地のワインの目覚ましい発展は、
スカラデイ修道院なくてはあり得ませんでした。
ここは、”DOCプリオラートのワインの始まりの場所”と言っても過言ではないでしょう。